100年の歩み

富山から夢と希望を胸に、新天地北海道十勝へ1866年~1912年(慶応2年~大正元年)

慶応2年(1866年)、富山県山王村上開発(現高岡市)の庄屋の次男坊に生まれた初代中谷清次郎は34才で妻メツと6才になる喜八を連れ、先に入植していた同郷の知人を頼り、船で北海道十勝太平洋沿岸の大津浜に上陸しました。途中茂岩辺りに1泊し、伏古地区(現西帯広)に入り、知人宅で一冬を越した後、帯広町西1南3へ移り住み、木綿などの行商を始めました。

靴屋への修業を終え靴・鞄の修理・製造で独立・開業1913年~1928年(大正2年~昭和3年)

16歳になった喜八は、札幌の靴屋で職人として3年間修業した後、大正2年(1913年)に、 靴・鞄の製造・修理業として独立開業し、菱中産業の前身である「中谷商店」が誕生しました。(後に「中谷馬具店」に改称)この年に起きた第1次世界大戦の影響で、豆を中心に農産物価格は急騰し、豆成金が続出しました。 農耕・運搬に必要な馬具需要も旺盛で、靴屋の修業で叩き上げた喜八の腕前は評判を呼び、当時石狩街道(国道38号)と広尾街道の要所に位置していた事も有り「馬具は中谷で整えろ」と言われる程になっておりました。大正11年(1922年)には社屋をそれまでの平屋木造造りから土蔵造り、瓦ぶきに改築し、当時の帯広町内でも白く光る漆喰壁の社屋は異彩を放つ存在でした。

 

地域1番の馬具店としての地位を確立する1929年~1938年(昭和4年~昭和13年)

昭和4年(1929年)には世界恐慌が起こり、豊作による農産物の価格暴落、昭和6年(1931年)から昭和10年(1935年)までの冷害凶作によって十勝の農業は大打撃を受け、その教訓から豆偏重の農業から有畜農業への転換、根菜と亜麻、えんどうの導入、敵地適作等、農業全般に対して転換が図られました。豆などの換金作物は作付制限を受け、麦類、とうもろこし、馬鈴薯、ビート、亜麻などの作付強化と馬の増産が義務化された事で、中谷馬具店も安定して受注を獲得していきました。

 

「中谷馬具店」から「帯広皮革工業有限会社」へ1939年~1953年(昭和14年~昭和28年)

太平洋戦争中(昭和14年/1939年~昭和20年/1945年)こそ、皮革原料が思うように手に入らず、馬具作りに大変苦労しましたが、戦争が終わり皮革原料が出まわると徹夜続きの多忙となり、それまでの製造・小売だけでなく卸売部門も設け、昭和25年(1950年)には「中谷馬具店」を「帯広皮革工業有限会社」に改称、法人化しました。同時に十勝管内だけでなく、手薄だった根釧地方にも営業範囲を広げてゆき、農協への営業基盤を確立していきました。

馬具から帆布・農業資材への転換1954年~1969年(昭和29年~昭和44年)

昭和29年(1954年)には酪農振興法に基づき、根室管内が、集約酪農地域に設定され、根釧パイロットファームに入植が始まりました。昭和36年(1961年)に制定された「農業基本法」と昭和37年(1962年)の「農業構造改造事業」によって農業機械や近代施設の導入が推進されたことで、馬具の需要が減少したため、当社の事業も天幕や車両の幌、酪農・畑作資材の製造や卸売りに転換していきました。

「帯広皮革工業有限会社」から「菱中産業株式会社」へ1970年~1981年(昭和45年~昭和56年)

帆布、テント製品、農業、酪農資材など、事業の柱が「皮革製品」以外の取扱製品へと比重が大きくなって来た事から、昭和45年(1970年)には、「帯広皮革工業有限会社」から改組し、「菱中産業株式会社」を設立致しました。その後も、ネット・ゴム・ビニール製品や、畜産施設で使用する金物やロープ等、加工、取扱製品の幅を増やしていきました。

本社社屋・道内屈指の縫製・溶着工場の建設1972年~1998年(昭和57年~平成10年)

十勝の農業粗生産額も昭和57年(1972年)には2000億円を突破し、根釧地方でも、「新酪農村建設事業」が完了されたことにより、当社にも農業に関係した縫製品の依頼や関連資材の注文が増加していきました。平成元年には十勝の小麦、ビート(てん菜)の収穫量が過去最高記録し、当社もそれまで5カ所に分散していた事務所・工場・倉庫を西帯広工業団地に集約、新築・移転致しました。

 

畜産用大型シートの需要が高まる1999年~2003年(平成11年~平成15年)

平成11年(1999年)に施行された「食料・農業・農村基本法」「家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律」に伴い、ラグーンシートの需要が急速に高まり、それまで防水シートの加工で実績を積み重ねて来た当社に多く注文が舞い込みました。また平成7年(1995年)には酪農家の飼養頭数拡大に伴い、バンカーサイロが普及し始めたことにより、当社のバンカー・被覆シート(スーパーエイト)が、多くの酪農家様より支持を頂きました。

 

酪農家の多くが飼養頭数を増やし、搾乳量を伸ばしていきましたが、平成18年(2006年)には13年ぶりの減産型生乳生産調整の実施により畜舎等農業施設への投資が一時的に冷え込みました。その後十勝、道東エリアの酪農家は本州での離農者による飲用乳減少を北海道の生産者が補う形で、飲用乳の北海道シェアは50%を超え、再びフリーストール牛舎やメガファームの建設も増加していきました。

営業拠点の開設と太陽光事業参入2012年~2016年(平成24年~平成28年)

平成24年には農業生産者の声を当社の製品作りやサービスに活かそうとの思いから、中標津営業所を開設するとともに、新たな商材を道央及び道南地区に広げて行く為、札幌営業所を開設しました。平成25年には酪農用品カタログを刷新し、141ページからなる総合カタログを刊行致しました。生産者様、農協資材課様、商社様が当社の扱う商品をより分かり易く、打合せにも役立つツールとして好評を頂きました。

 

東日本大震災を機に我が国でも再生エネルギーに対する国民の関心が強まり、当社におきましても、平成24年から太陽光発電システムの輸入、およびEPC事業を開始する為、この年に環境エネルギー事業部を、東京(日本橋浜町)と本社(帯広)に立ち上げました。